私のおんころじすと

次に病室に入ってきたのは

Oncologist(腫瘍内科医)。

 

お肌つやつやで頭の薄い

同い年くらいのアジア人男性のドクターでした。

 

「はじめまして、担当医のDr.Chan(仮名)です。」

 

そう言って私の手を握った彼の手も

しっとりまるで赤ちゃんの肌のよう。

 

「この度は残念なことに胃に悪性腫瘍が見つかりました。

これから色々な検査をして、今後の治療計画を立てましょう。」

 

夫とDr.Chanが話している間、私は考えを巡らせていました。

 

この人が私がこれからお世話になるドクターなのか。

なんだか頼りない感じ、、、

でも顔に似合わず敏腕ドクターなのかも、、、

 

 

しかし言うなればGut feeling(直感、勘)が訴える

私とは合わない、

そんな予感がしました。

でもだからって今すぐ違うドクターに変えてください

とは言えないかな。

ここは様子を見よう。

だんだん好きになるかも知れないし。

 

Dr.Chanは1週間後にまた面談の予約を入れたので、

その時に質問などをまとめてきてくださいとのとこ。

さらにCTスキャンは明日、

明後日には電話で事務局の人とPETスキャンの予定を打ち合わせる

という事が決まりました。

 

ほぼ事務的な内容の会話でした。

Dr.Chanはそれらを淡々と告げて部屋を後にしました。

 

そして私は晴れて退院となったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

生きろ。(もののけ姫風に)

さて、随分あっさりと

胃がんを告知されてしまった私たち。

昔の日本のドラマでは

がんの告知の際には家族は別室に呼ばれて

「先生、余命はどのくらいでしょうか?

母にはどうか知らせないでください!」

 と、泣き崩れるのがお決まりでしたが

今考えれば自分の命の期限を

本人が知らせられないなんて

ありえない。。。

たとえそれが末期がんであったとしても。

末期がんだったらなおさら。

 

息子は相変わらず

私の隣でゼリーを食べながら

ディズニーの番組を鑑賞中。

私と夫は

動揺を隠しきれずにしばし黙っていました。

 


告知をした胃腸科のドクターは去り、

今度はインド系のドクターが

病室に入ってきました。

 

あ、ここに特筆しますが、

私のドクターやナースの形容は

特に人種や性別や何かを差別、評価しているわけではなく

特徴として覚えている部分で書いているだけでして

そうした方が自身の記録としても、

読んでくださる方へも

混乱が少ないかなと思っているゆえの記述です。

私が入院したのは

かなり大きな病院でしたので

入れ替わり立ち替わり

多くのドクターやナースや技師の方達が

治療に携わってくださいました。

 

 

 

彼女はテレビを見ている息子に目をやり、

「息子さんはおいくつ?

可愛いわねぇ、私も子供が2人いるのよ。」

と世間話をしながら

コンピュータに何かを打ち込んでいます。

 

それが終わると私達の方に向き直りこう言いました。

 

「あなたはがんとわかったけれど、

決して諦めずに頑張りましょう。

こんなに可愛い息子さんのためにも

これから治療を頑張っていきましょう」

 

 

そこで

初めて、涙がでた。

 

 

自分ががんと知った悲しみの涙じゃなく

痛烈に「まだ生きたい」という

シンプルな感情が生まれてきて

こみ上げてきたコントロール不可能な何か。

夫もそっと目を擦り、

ドクターは私の手を強く握ってくれました。

 

そうだ、ボーッとしている場合じゃない。

私の大切な家族のためにも

もう何十年かは死にたくない。

なんならこの小さい息子の結婚式を見たい。

孫の世話だってしたい。

最終的にはがんで死ぬかもしれないけど、

今はまだその時じゃない。

 

 

私はこのドクターに

私の胃がんのステージは何なのか

これからどういう食事をしたらいいのか

何に気をつければいいのか

矢継ぎ早に質問をしました。

 

もしかしたら私が聞いていなかっただけで、

先ほどの告知をして行ったドクターが

説明してくれた事ばかりかもしれないけれど。

 

彼女は

ステージは今の時点ではわからない。

この後担当のOncologist(腫瘍内科医)が来るので、

彼から今後の検査などの説明を受けることになると言うと

病室を去って行きました。

 

 

 

告知

正午前には

夫が息子と一緒に病室にやって来ました。

 

息子は嬉しそうにベッドに駆け寄り

先日のSleepoverの話を

もう一度聞かせてくれて。

そしてベッド脇のテーブルにのった

ジュースパックに気が付き、

「僕、これ飲んでもいい?」

 

ほとんど減っていないサラダや

手付かずのゼリーも

好きなの食べていいよ、

と言うとベッドに登り私の脇に座って

ディズニーチャンネルを観ながら食べ始めました。

 

息子が生まれてから5年間、

数時間以上離れていたことはありませんでした。

 

今回は2日離れていただけだけど、

なんなんだこの可愛い生き物は!!

という愛おしさが込み上げて。

にこにこと息子を眺めている私に

「今日は調子どう?」

と夫が聞いてきました。

 

「ん、一昨日、昨日に比べたら随分いいよ

ご飯はまだあまり食べられないけど。

夕食はこんなに出たの、すごくない?」

と写真を見せたりしていたんですが。

まだ病院の寝巻きを着ているけど、

夫と息子がいるだけですっかり

リラックスしていました。

 

そこに昨日の胃カメラをしてくれたドクターが

病室に現れ、

彼も私に調子はどうかと尋ねました。

そして夫と私に向かいおもむろに、

「先日のBiopsy(生検)の結果が出ました。

がん細胞が発見されました」

  

 

 

つい頭の中で「ガーン。。。」

と思った私は別に関西人ではないんですが、

こんな時ベタなダジャレを考えてしまうのは

ショックな気持ちを和らげるための

防衛本能か何かでしょうか。

実際、私はこんな検査結果を

1ミリも予想していなかったわけでして。

 

しかし夫はといえば、

先日ドクターからBiopsy(生検)

という言葉を聞いた時点で

多少の覚悟をしていたらしく。

私を不安にしても仕方がないと

何も言わなかったけれど。

 

ドクターは淡々と、

しかし思慮深い表情で

今後の流れを説明していきました。

 

私は呆然として話の3分の1も聞こえていなかったけれど。

 

 

 

初体験!アメリカの病院のお食事

その日の夕方に

夫は息子を友人宅まで迎えに行き、

一旦家に帰りました。

 

その間に私はナースから

翌日の昼には退院

という知らせを聞いたので、

明日息子と一緒に迎えに来てくれればいいから

今日は家でゆっくり寝てくれと

夫に電話をかけたのですが。

 

息子が電話に出たいと言います。

 

電話を変わると

息子は昨夜

友人宅で夕食にピザをいただき、

デザートにフローズンヨーグルトを食べ、

お友達とおしゃべりしながら眠りにつくという

楽しい初めての経験をしたことを

興奮気味に話してくれました。

 

息子がそれほど寂しがっていない事に安堵し、

私はゆっくりと一人の時間を過ごせました。

 

そしてその夜の

待望の病院食。

 

食事係の人が

注文を取りに病室まで来てくれたのですが。

吐血して1日以上絶食していた割りには

私のメニューはローストチキンにハンバーガー、

ミートソースパスタなどかなり幅広く。

 

日本人的にはこういう時は

お粥が一番ありがたいのですけども。

 

結局その中で

一番消化できそうなサーモンの照り焼きと

付け合わせのジャガイモ、ブロッコリーを選びました。

それがメインで

スープとフルーツカップが付いて来て

更にジュースとお茶かコーヒー

ジェロー(フルーツ味のゼリー)かアイスクリームが選べました。

 

その晩の食事は

かなり時間をかけても

当然半分も食べられませんでした。

 

アメリカ人はこんなに胃が悪い時でも

これほど食べられるの?

 

ジェローは明日にとっておく事にして

残りは下げてもらい

今日はゆっくり眠れることを

期待して就寝しました。

 

 

翌朝は何かの連絡ミスで朝食が出ず。

 

ナースが申し訳なさそうに

飲み物だけを届けてくれましたが、

私は食べられる気もしなかったので

問題ありませんでした。

 

しばらくして昨日と同じ食事係の女性が

ランチの注文を取りに来てくれ

この時のメニューはチキンシーザーサラダ

クラブハウスサンドイッチ

卵とパンケーキのプレート

とまぁ軽めのランチっぽいメニュー。

私はチキンシーザーサラダを選びました。

 

11時半にはランチが届き、

私はサラダをつつきながら

家族が迎えに来るのを待ちました。

 

 

 

 

 

胃潰瘍

普段から眠りの浅い私が

ICUのベッドで

ぐっすり眠れるはずもなく

夜中に何度も何度も起こされました。

 

私を起こしたのは

自分の体に繋がっている機器からのアラーム音。

(特に異常がなくても何かの拍子に鳴る)

部屋の外から聞こえる

「コードブルー!コードブルー!」

といったアナウンス。

シフト毎にあるナースの申し送り。

 

さらに、

ずっと飲まず食わずなのに

尿意はもよおす人体の不思議。

まぁ点滴してるから当然なのですが。

 

忙しそうなICUのナースに

「おしっこ行きたいでーす」

とナースコールするのは大変気がひけるけれども

いたしかたありません。

 

おばちゃんナースが

氷を差し入れてくれようとしましたが、

それはドクターストップがかかったそうです。

空腹はともかく水も飲めないって物凄く辛いです

口の渇きが尋常ではありません。

 

そんなこんなで

私はうとうとしたくらいで朝を迎えました。

 

部屋のすみの寝心地がすごく悪そうなソファーで

寝ていた夫は果たして寝られたのか?

まぁ多分普通に寝られたのでしょう、

羨ましいくらいどこでも寝られる男です。

 

その日の昼前には普通の病室へ移されました。

この部屋もまぁそこそこ広くて

個室でトイレ付き。

 

この病院は2014年に新しく建った建物でして

どこも綺麗でWifiも使えるし

なかなか居心地は良く。

夫は職場に連絡して病室から仕事をし

私は子供を見てくれている友人に連絡をしました。

 

友人の話では

息子は問題なく良い子にしていました。

朝は一人で早く起きて

他の家族が起きて来るのを

静かにしてベッドで座って待っていたそうです。

 

すごいな

なんだかお兄ちゃんになったみたい

と誇らしく思う気持ちと、

でもやっぱり

少しさみしかったのかな

と切ない思いが同時に心に湧き上がりました。

 

その後は部屋でまったりと過ごしていると、

胃腸科のドクターがやって来ました。

彼は私と夫に

胃カメラで胃の上部に

大きなStomach ulcer(胃潰瘍)が見つかりました。

昨日の処置の時に一緒に止血をしてあります。」

と伝えました。

 

私はそっかー胃潰瘍かー、

今まで特に胃が痛いとか思ったこともないけど、

そういうこともあるのかー、

私が胃潰瘍なんて意外ー、

もっと人生ストレスフル、そんな人がなるんだと思ってた。

と、のんびり気分で聞いていました。

 

さらにドクターは

「今回採取した組織の一部をBiopsy(生検)に回しました。

結果は明日出ます。」

と言いました。

 

 

 

 

 

胃カメラの後

次に意識が戻った時には胃カメラは終っていました。

 

すごく気持ち良く寝ていたのを無理やり起こされた感覚。

どのくらいの時間がかかったのか、ドクターは何と言っていたのか、隣についていてくれた夫に私は何も聞来ませんでした。そのくらい麻酔明けの私はぼんやりうとうとしていたのでしょう。

 

そしてこの日はそのまま入院となりました。

 

部屋がそこしか空いていなかったのか否、ICU(Intensive Care Unit)に入れられたのはもう暗くなった頃でした。

それはかなり広々とした病室で、ベッドの真正面の大きな窓からは暗い外がうかがえるけれど、街に面していないようで何の灯も見えません。

 

ストレッチャーで運ばれ、室内のベッドに移乗しました。

この時ストレッチャーのシーツの下には、空気で膨らむマットが敷いてあることに気がつきました。このマットを膨らませて、私の体が少し持ち上がったところで病室のベッドに移すのです。なるほどこれなら移乗のためにかける労力が少なくていいですね。

 

そこからは感じのいいおばちゃんのナースがお世話をしてくれました。

 

まだ足元がおぼつかない私はおトイレもベッドの上で、です。Bed Panという器具をお尻の下に差し入れて、寝たまま用を足します。具合が悪すぎてもう恥ずかしいも何もない状態。

 

朝から絶飲食の私にナースが

「お水は飲ませてあげられないけど、氷を少し口に含むくらいならいいかしらね。後で持ってくるわね〜」

と声をかけて去って行きました。

 

この日は夫も病室に泊まることになり、息子を見てくれている友達にお泊まりもできるかと尋ねたところ、ちょうど春休みということもあり快く引き受けてくれました。

 

かくして、息子(この時5歳)は初のSleepover(お友達の家に子供だけで泊まること)を経験することになったのです。

胃カメラ

私は車椅子で麻酔の準備をする部屋に運ばれました。

大きな部屋にカーテンで仕切られたベッドが何台も並んでいます。ほとんどのカーテンは開け放たれ、人がいるベッドはまばらでした。

その中のベッドの一つに寝かされ、静脈に点滴用の針を刺されました。

 

アメリカの胃カメラは眠った状態です。その方が患者の体の負担は少ないし、眠っていればえづいたり動く事がないのでドクターもしっかり調べることができるとのこと。

 

前回の記事には「全身麻酔」と書いたのですが、それは英語では(General)Anesthesia。

しかし記録を見たらこの胃カメラの時はSedationだったので「鎮静剤を投与された」と言った方が正しいのかも。

 

ともあれ。

麻酔の準備が終わり、胃カメラの処置室に入るとナースが二人。先ほどのドクターはまだ来ていませんでした。

 

ナースが私の左手首につけられたリストバンドをスキャンします。その上で名前と生年月日、これから何の処置を行うのか質問されました。取り違えなどの医療ミスを防ぐための確認です。

 

そこでドクターが現れ準備はできた様子。

ナースがお薬入りまーすと言うと、ほんの数秒で私は眠りに落ちました。RN(Registered Nurse)はそういった医療行為も行えるのだな。。。と考えながら。